ハルはリクオをぶん殴るべきだし、ハルが殴らないなら俺が殴る 『イエスタデイをうたって 特別編「11・S14」』

※特別編「11・S14」を含む『イエスタデイをうたって』全般のネタバレが含まれています。

 最初に言っておくと榀子派である。「榀子派」というのはつまり、リクオの物語として『イエスタデイをうたって』を読んできたということだ。あのクソめんどくさい榀子を「それでも好きなんだもんしょうがねえじゃん」と読める程度にリクオに感情移入して読んできた。

年上だったリクオは長い連載期間のなかでいつの間にかはるか年下になり、『イエスタデイ〜』は現在の自分を投影する作品から、過去の自分を重ね合わせる作品に変わっていった。だから、2015年に本編が完結したとき、ようやく自分の90年代は終わった気がしたものだ。優しいフリをして榀子に対して図々しく踏み込もうとも、本当のところで責任を取ろうとしなかったリクオの姿も、90年代の置き土産だと思えば腹は立たなかった。ちゃんと榀子にフラれることができたのなら、それで十分だろう、と。

でも『イエスタデイをうたって afterword』に収録された特別編「11・S14」はいけない。これはダメだ。リクオは正座して俺の話を聞け。

「11・S14」は今年4月、アニメ化に合わせて新たに描かれた本編最終回後のエピソードだ。約5年ぶりの新エピソードは、純度100%どころか濃縮還元200%くらいの濃度で『イエスタデイをうたって』だった。それが許しがたい。

イエスタデイをうたって』の後日談を読んで『イエスタデイをうたって』だったことに怒るのはあまりに理不尽な話だが、いや、だってリクオお前、これまで何学んだんだよ!!! ハルと付き合いだしてもイベントはスルーしようとするし、忙しいと連絡を怠るし、合鍵も渡してない。それで「信頼してるのは察してほしい」という態度を続けている。

それは作中でも「甘えてる」と批判されているのでまあいいとしよう。でも、それで怒られて、「日曜休める?」とだけ聞いてハルを連れ出して、いきなり実家に連れてくって。

お前は!!!! 結局!!!! また相談するとか話をするとかすっ飛ばすのかよ!!!!!

そりゃハルはもっとちゃんとした服装にしたかったっていうでしょうよ。着替えに帰るっていうでしょうよ。それに対して「普段のままがいいって」というリクオ。お前がよくても!!!! ハルはよくねえっていってんだよ!!!!

お前、そういうところを「甘えてる」といわれてるんちゃうんか? この期に及んで、相手の気持ちを自分だけで想像することが優しさとか気の利いた振る舞いだと思ってる。相手の気持ちに直接踏み込まないで、遠回しに自分の気持ちの話をする。そういう振る舞いが連載を18年にも及ばせたんだろうが!! そうじゃない。相手の話を聞け。何も聞かずに勝手に「僕の思った優しさ」で話を進めようとするんじゃない。「リクオなりの」なんてもう見飽きたんだよ。

もちろん「それが『イエスタデイをうたって』だ」といわれればそのとおりだ。これが本編なら僕も「しょうがねえな、リクオは」くらいで済ませただろう。

だけど、これは後日談だ。人が後日談に求めるもの、あるべき姿と考えるものはさまざまだろうが、僕は「後日談であるなら、終わった話の先に進んだ人たち」を見たい。「後日」なんだから。特に『イエスタデイをうたって』は、しょうもなくて失敗だらけの青春時代を、長い長い失恋を経て清算するような物語だ。清算が終わったのに、結局同じことをしているなら、『イエスタデイをうたって』という話は何だったんだと思う。結局リクオはかつてのリクオのまま、一歩も前に進んでないじゃないか。だったら『イエスタデイをうたって』本編にどんな意味があったのか。

いい感じふうの話になっているけど、これ、どうやったってリクオとハル、遠からず別れるだろ。ハルは喜怒哀楽がハッキリしているので自由奔放で直裁なイメージだけど、その実リクオには自分の気持ちをなかなか伝えられない。「アパートの鍵をくれ」とすらいえないし、「寂しい」ともいえない。それでも、リクオに好意を持っているから「健気」に待っているけど、その好意に陰りが見えたらどうにもならないだろう。リクオを甘やかす理由がない。

イエスタデイをうたって』本編に文句はなかったけれど、だからこそ「11・S14」はちょっと許せない。リクオ、お前本当いい加減にしろよ!!