僕は「許されたい」という気持ちでラブコメを読んでいる

「許されたい」という感覚がある。

今日も今日とて『じけんじゃけん!』の新刊を読んで脳を溶かしていて改めて思ったことだ。日中「はぁ〜〜〜〜百合子先輩かわいいんじゃぁ〜〜〜〜!!!!」という気持ちを発酵させすぎた結果、感情のアルコール度数が高まって揮発し、23時現在妙に仏の気持ちになって、しみじみと「許されたい」と考えていた。

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『じけんじゃけん!』は広島にある高校のミステリー研究会を舞台にした日常コメディだ。軸になるのはミステリー狂いでいつでも黒タイツの百合子先輩と、百合子先輩に一目惚れした転校生・戸入くん。校内一の美人でありつつ、実はポンコツだったりする百合子先輩だけでなく、戸入くんに恋心を抱いている幼なじみのひまわりや、小悪魔的な百合子先輩の双子の妹・野薔薇さん、イギリスから来た百合子先輩を慕う妹系キャラ・アイリス、百合子先輩の幼なじみで戸入くんの元カノ・オカルト好きの犬神先輩と、ヒロインてんこもりとなっている。

さらっとすくっただけでこの状態なので、実は紹介するのが難しい作品である。ミステリーあるあるの会話劇でもあれば、多ヒロインラブコメでもあるし、地方ご当地マンガとしても紹介できるし、ポンコツ系ヒロインマンガともいえるし、タイツで出汁を取って食べるタイプの人間にはグルメマンガともいえる。ヤングアニマルなので(偏見)あざといくらいのエロというかフェチも盛り込んでいる。要素的にはゆるめの日常系ラブコメのトレンドをこれでもかとてんこ盛りにしている作品なのだ。これだけ盛ると狙いすぎで散漫になりがちなものだが、『じけんじゃけん!』はどれが軸ともいいがたいつくりでありながら破綻なくコメディとして成立している。しいていうなら「女の子たちがかわいい」というのが軸なのだろうけれど、実際に描き手が何を意識しているのかはわからない。機会があれば聞いてみたいところだ。

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これだけいろんな要素を詰め込んだ作品なのだが、私が『じけんじゃけん!』で脳を溶かすポイントはこれまでに挙げたところとは別だったりする。私は「許してくれる」ヒロインが好きなのだ。

この「許してくれる」という感覚は自分のなかにずっとあるのだけれど、うまく表現できずにいる感情でもある。そもそも何を許されたいのか、を伝えるのが難しい。

ブコメとしての『じけんじゃけん!』の軸は、戸入くんが百合子先輩を追うという形だ。しかも、それは隠された恋心ではない。戸入くんは折に触れては百合子先輩への好意を伝えており、百合子先輩もそれを(少なくとも言葉としては)認識している。そして、百合子先輩はそれに応えるでもない。というより、どちらかといえば気持ち悪がったりすることの方が多い。面白いのは、それでいて百合子先輩が戸入くんを拒絶するわけでもない点だ。

これが僕のいう「許してくれる」という感覚だ。好意に対して好意を返してくれるのも、もちろん喜ばしいし、そういうラブコメだって好きではある。だけど、「好意を許される」というタイプの関係がクリティカルに好きだったりもする。もっといえば、たぶん僕自身の究極の望みなのでもあるんだろう。

それは「友だち以上恋人未満が一番楽しい」とか「失恋中毒である」みたいな話とも違う。やっぱり「許されたい」としかいいようがないのだ。

吉野朔実の『恋愛的瞬間』に「墜落する天使」というエピソードがある。本筋は恋をしたことがないアイドルの話なのだが、アイドルのコンサート会場に行った登場人物のハルタが「ほしいって感情が渦巻いている」というようなことをいう場面がある。好意というのは相手に差し向けるものであると同時に、相手に何かを返して欲しいという感情だという話だ。そういう意味では、好意は向けられる側にとって凶器でもある。

そういう好意を、僕はポンッと許されたい。ただただ「はいはい、大好きね」ととどめられたい。もしかしたら犬と飼い主のような関係かもしれない。犬のように、無邪気に愛情を表現して、憎からずただ受けとめられる。 

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こういう話を何度か知り合いにしたことがあるけれど、結局うまく理解してもらえなかった。たぶん世の中にも認識されていない(言語化され、共有されていない)欲求だと思う。だけど、何かを推している人だとか、あるいはキャバクラでデレデレするおじさんたちのなかには、こういう感情を無意識に持っている人が割といるんじゃないかと思っている。

そんなわけで、「許されたい」という気持ちで僕は今日も『じけんじゃけん!』を読んでいる。 

じけんじゃけん! 1 (ヤングアニマルコミックス)

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