人には書きたくない文章がある featuring トリートメント

朝風呂派である。寝癖は酷いし、寝起きも悪いので、薄らぼんやりとした髪と頭をとりあえず風呂に入って何とかしたいから、風呂は朝と決めている。

要するに爽やかな朝を迎えるために朝風呂にしているわけだけれど、にもかかわらず風呂に入ると気持ちがどんよりしたりもする。原因はトリートメント。

私くらい意識の高い中年になると紙パックの牛乳を直飲みせずにコップに移すし、スーパーカップの蓋に着いたアイスも舐めずにスプーンですくうし、気が向くとトリートメントも使う。ただ、意識は高いが知能は低いので、トリートメントも何となく使っているだけであり、実際のところどの程度輝く美しい髪につながっているのかはわかっていない。さしてしたいわけではないけど、シャンプーもコンディショナーも使ったし、やっとく?みたいなナアナアのマンネリのなかで続いているのが私とトリートメントの関係だ。

そんな関係なので、正直トリートメントに対する理解もナアナアである。髪に栄養を与えるとかダメージをケアするという役割は何となく知ってはいるが、どういう栄養が入っているのかは知らないし、どの程度の時間付けておいてから洗い流すのがいいかもわからない。なので、せめて用法用量を正しく理解しようとパッケージの使い方を読む。すると書いてあるのがこうだ。「適量を両手のひらに広げ、髪になじませます」。

「適量」。適した量、適切な量。文章を書く人間にとって「適量」は敗北の文字列だ。「適量」という言葉が出てくるのはたいがいレシピや説明書的なガイドである。つまり、適した量がわからないから読んでいる。そういう人間に「あー、とりあえず適切な量でいいから。あ? 適量は適量だよ! そんなこともわかんねえのか、これだから今の若いやつは」という入社5年目のイキッた先輩みたいなのを当てるのは人道に反する。しかも先輩、使いすぎたら使いすぎたで「何無駄遣いしてんだよ!」って怒るじゃないっすか。

とはいえ、料理のレシピの「適量」はまあわかる。入れすぎればまずくなるし、少なければ物足りない。失敗しつつ自分の好みというものに対する「適量」を見つけていくことができる。洗剤あたりもまあいい。「本当はもっと少なくていいんです」みたいな話はあるものの、要するに油汚れが落ちればいいし、気持ちよく泡立つみたいな洗い物をする人のテンションを上げるための適量も個人個人で見つければいい。

が、トリートメントの「適量」はわからない。何しろこっちは効果すらろくに認識していないのだ。結果から推測することはできない。かといって泡立ちもしないので「まあ泡立ってるしいいか」みたいな欺瞞も通じない。パサつきをおさえて芯まで潤ったさらさら髪にしたいだけなのに、適切なモイストスムースケアができない。

まあ、そもそも何となく気分でやっているだけなのだから、モイストがスムースしようがしまいがどうでもいいといえばそのとおりなのだけれど、ライターが「適量」に出会ったときの消耗は大きい。つい「じゃあどう説明するのがいいか」を考えてしまうからだ。

「お好みに合わせて数振り」「ティースプーンに軽く」「1円玉程度のサイズに」など、具体化の手段はいろいろある。だが、トリートメントの場合難しいのは使用者の髪の量がかなり違う。髪の短い男性も、ロングヘアの女性も使う。さらには同じくらいの髪の長さでも、髪の貧しい中年もいれば、前世が羊だったっていうくらいの量の人間もいる。一定量の決め打ちはできない。

すると髪の量に対して適切な量を考えることになるが、「髪の毛○gに対して本品○g程度」という説明では感覚的に量をつかめない。シャンプーもコンディショナーも終わって、ずぶ濡れの状態で髪の毛の重さを量るわけにはいかない。しかも、髪の太さも人それぞれある。

しかも、説明文というものには適切な文量がある。「適量」の説明を長々とするよりも伝えなければいけない情報があり、そこにこそ文字を裂かないといけない。そもそも文章はたいがい長ければ長いほど読み飛ばされる。「長い」と思われただけで読まれず、その文章は無になる。さらにはパッケージのサイズ上の限界もある。商品には必ず入れなければいけない必須情報やバーコードのようなものがあり、補足的な説明文は必然的に圧縮される。使える文字数はほとんどないといっていい。

結果、諦めとともに「適量」という言葉が選ばれる。おそらくこの文章を書いた担当者も、こういう逡巡の末「まあ、うん……適量で……」というところに至ったのだろう。そこに挑戦した私も新たな最適解を見つけられず、ずぶ濡れで放心する。人にはいろいろと書きたくない文章というものがあるが、「トリートメントの使用説明文」はそのひとつだ。説明文界のフェルマーの最終定理といってもいい。多くの文字書きがこの難問を前に倒れていったのだろう。

気分よく1日のスタートを切ろうとトリートメントを手に取るたび、こうして私は疲弊し、自分の無力さに打ちひしがれることになる。平成の次の元号の間には、トリートメントの適量を10文字程度で明快に説明する表現が見つかることを願ってやまない。