残り香の「タブー」――「卒業生 冬/春」(中村明日美子)

卒業生-冬- (EDGE COMIX)

卒業生-冬- (EDGE COMIX)

卒業生-春- (EDGE COMIX)

卒業生-春- (EDGE COMIX)

どれだけたくさんの作品を読んだところで、僕は自分自身が男であるというところから逃れることはできない。20世紀末の日本で男として育ってしまった以上、いわゆる「男性性」のようなものが根本に深く根を張ってしまっていて、そこから完全に自由になるのはすでに不可能だ。
だから、ボーイズラブ(BL)というジャンルは僕にとっては、どれだけ共感したり感動したりしても、ある部分では本質的に異文化だし、この先もおそらく異文化であり続けるだろう。

で、ありながら、そういう僕ですら、BLはもう無視できない存在になっている。それはジャンルとしての勢いであるとか、トレンド的な意味ではなく、作品の魅力としてだ。00年代、BLは特殊でフェティッシュな閉じた世界から、ある種の普遍性を持ったジャンルという認知に変化していった。急先鋒はよしながふみであり、彼女に続くように、「男性同士の恋愛」に特別な思い入れを持たない読者を魅了するBL作品と作家が数多く世に出てくるようになった。

中村明日美子はその流れを代表する作家のひとりだ。

よしなが以後のこうした作家には、ある種の共通する感覚がある。
ひとつは男性キャラクターの蠱惑的な色気。いわゆる男性誌では、いわゆる“肉食”的な男性の魅力が描かれることはあっても、これほど妖しげでセクシャルな男性の魅力にお目にかかることはまずない。
そして、もうひとつは登場人物たちの同性愛に対する抵抗の少なさだ。
宗教的なタブーの少ない日本ですら、同性愛は社会的に異端であり、禁忌の一種と見られていたし、今でもそうした視線は厳然として存在し続けている。BLの「外」で、同性愛をテーマにすれば、どうしても同性愛の苦悩であるとか、軋轢といった社会的なテーマが首をもたげ、作品全体を「同性愛」という問題が支配する。よしなが作品ですら、「きのう何食べた?」のように、同性愛者が現代の日本を生きることの困難をひとつのテーマとして描き込んでいる。
しかし、中村明日美子はそんな社会的なプレッシャーを軽々と飛び越えてしまう。前作に当たる「同級生」でこそ、同性愛に対する戸惑いが描かれるものの、草壁と佐条が付き合いだした後になる本作「卒業生」になると、もう当たり前のものとして2人は付き合いを重ねていく。草壁にいたっては、あっさりと同級生に2人の関係を話してしまっていたりする。それは「カミングアウト」などという大げさなものでなく、単に恋人ができたことを報告するような気軽さで描写されている。

BLネイティブとでも呼ぶべき感覚だ。BLの一般化の中で、ラブコメとかバトルものと同じように、ごく自然にBLというジャンルがあり、とりわけタブー視することなく自然にそれを選び取るような、非常にフラットな感覚がそこにあるような気がする。

そうして生まれた作品では、もはや男同士だからという気負いはなく、思春期のむずがゆいような初々しい恋の鮮やかさが前面に出てくるようになる。BL読者でなくても自然に読める理由は、この感覚にあると思う。

しかし、それでいて、BLの禁忌感が完全に失われているわけではない。初々しい恋、だけど、男同士というちょっと“イケない”感覚がそこにはある。
「タブー」や「秘密」というのは、エロスの定番アイテムだ。ほんの少しの後ろめたさがドキッとする色気を生む。

BLネイティブの作品は、仰々しい背徳感から解放された自由さがある。それでいて、フェティッシュなジャンルが育てた、妖しげで蠱惑的な魅力は依然残っている。
健全でぎこちない初恋の甘酸っぱさと、フェティッシュな「タブー」の残り香。「卒業生」には、そんな2つの要素が同居する希有な魅力がある。