ラブコメ迷宮の最深部――「百舌谷さん逆上する」4巻(篠房六郎)

百舌谷さん逆上する 4 (アフタヌーンKC)

百舌谷さん逆上する 4 (アフタヌーンKC)

ブコメはずいぶん複雑なところまで来たんだな。
百舌谷さん逆上する」に対する感想を一言でいうならこうだ。

本作は何しろキワキワな設定のオンパレードだ。ヒロイン・百舌谷さんはいわゆる「ツンデレ」なのだが、単なる性格上のツンデレではない。世界的にもほとんど患者がいない「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害」という御大層な名前の奇病の罹患者という設定。自分の意思に反して、好意を持った相手に攻撃的な態度をとってしまう病気としてツンデレを描く。これだけでも、いわゆる非オタク層は裸足で逃げ出す「何じゃそりゃ」ワールドなわけだが、アグレッシブなキャラクターは百舌谷さんだけではない。
実質的主人公に当たる樺島番太郎は、小学生とは思えないオッサン臭い容貌。しかも、ドM気質で、実は超人的な肉体を持ち合わせている。
脇を固めるキャラクターも、ショタにして男の娘の番太郎の弟・勇次郎、アブない腐女子看護婦・たまちゃん、もろにドMの変態中年である番太郎の(夢の中の)お師匠、怪しげな老人・番太郎の祖母など、オタク的怪設定満載だ。

展開もオタク的文化の技巧の極みだ。
百舌谷さんと番太郎と、三角関係を演じる竜田揚介は思春期直前の小学生の見本のようなキャラクターだが、彼にアドバイスをする揚介の兄は2次元オタク。エロゲ脳にブログ脳の持ち主で、百舌谷さんとの関係をある意味的確に、それでいてあさっての方向から解釈し、「フラグクラッシャー」などのオタ用語で畳み掛ける。
でありながら、一方で揚介をはじめとしたキャラクターはいわゆる一般人だ。オタク文化とはまるで無関係で、その手の知識に無知。だから、オタクキャラクターの話すことや行動が理解できない。多くの誤解が生じる。オタクだけではない。「百舌谷さん〜」では、ありとあらゆるキャラクターが誤解や勘違いの上を突っ走っている。
しかし、コミュニケーションは成立する。全く噛みあっていないにもかかわらず、物語は進んでいく。
たとえば、どんくさい番太郎を、弟・勇次郎は「イケメンで強い理想の兄」と思い続けている。だが、もちろん同級生たちにとって番太郎はどんくさいカバ野郎だ。勇次郎と揚介はともに番太郎について語りながら、そのことに気づかない。気づかないまま進む。
通常、誤解はいずれ破綻し、破綻したところからドラマが作られていく。しかし、「百舌谷さん〜」では、破綻しない(これは4巻でいろいろあるにしろ)。薄氷を踏むような危うさで誤解の上を物語は走り続ける。この辺が本作が極上のコメディたる所以だ。

しかし、だ。
「百舌谷さん〜」の面白いところは、これだけ技巧的なパロディとシュール、コメディ性を散りばめてながら、実は純然たるラブストーリーでもある点だ。
派手な設定やギャグによって隠されているが、装飾要素を削ぎとってみると、古典的な物語の骨子が見えてくる。

例えば百舌谷さんは「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害」というトンデモ病だが、本質は「病気によって家族や友人からの愛情を受け取ることの出きなかった孤独な少女」だ。
番太郎も、極端な設定を削ぎとっていけば「冴えないけれど、弟思いで気は優しくて力持ち」。そして、ツンデレヒロインにいじわるされつつ信頼されるという王道キャラクター。
三角関係の一角を担う勇次郎は「単純でぶっきらぼうだけど、男女ともに人気を集めるクラスの中心人物」だ。
ここに家族の愛情や、ヒロインに対抗する美人同級生といった要素が添えられる。
孤独と絆、友情に好きな女の子のために振り絞る勇気、そして思春期の成長。骨となる物語の構図は、実は驚くほど王道で古典的なものなのだ。

こうした構図を、篠房六郎は真正面から描かない。一歩引いて、キャラクターもストーリーも、すべてをパロディにして仕立て上げる。とんでもなく複雑にして、めちゃくちゃシンプル。シュールといっていいほどギャグで、同時にオタ泣かせ。唯一無二のラブコメはこうして成立する。

かつてBSマンガ夜話で「最終兵器彼女」(高橋しん)が取り上げられた際、誰かが(岡田斗司夫だったはず)作品を解体していき、最終的に母体回帰にたどり着く。そして、「ここまでしなければ恋愛というものはもう描けないのか」というようなコメントを残していたと記憶している。
本作を読み、笑って、泣いて、そのあと思うのもこれだ。徹底的に相対化され、パロディ化されることで、ようやく真実味を帯びてくる絆と愛情。今、ラブコメというジャンルの、迷宮の最深部にあるのが「百舌谷さん逆上する」なのではないだろうか。