ひと握りの奇跡もない場所で——「雪の女王」(谷川史子/「吐息と稲妻」収録)

吐息と稲妻 (りぼんマスコットコミックス)

吐息と稲妻 (りぼんマスコットコミックス)

 気持ちに澱のように疲れがたまってしまったとき、僕らに与えられた選択肢のひとつが谷川史子だ。

 今さら改めて書く必要もないけれど、11日に起こった地震は東北はもちろんだけど、我が家のこともずいぶんと痛めつけてくれた。およそ4000冊程度と目される我が家の蔵書の大半は、震度5強の揺れのなかでも大変お行儀よく本棚に収まり続けることを選んでくれたため、帰宅前の想像よりはマシではあったのだけど、もともと寝返りを打っては崩れ、ドアを少し強く閉めると崩れ、という状態にさらされていた床積みの1300冊はさすがにそうはいかず。ザルに本の山を入れて揺さぶったみたいな状態で、ものの見事に一面本の海。要するにこういう状態だった。

 幸か不幸か、僕は今月末に引っ越しを控えていて、どちらにせよこれから大量の蔵書を段ボールに詰めていかねばならなかった。で、柄にもなく「この機会にぜひとも蔵書の整理を!!」という使命感に燃えていた僕は、嫌がらせのようにシャッフルされたマンガの山を神経衰弱のようにタイトルごとに仕分けして、なるべく丁寧に詰めていったため、週末2日間はあっという間に段ボールの中に吸い込まれ、ようやく床と再会することができた。代償は腰の痛み。僕がもしターミネーターだったら、ちっとも本の整理をしない過去の僕を抹殺しに行っていたところなので、本当にターミネーターに生まれなくてよかったなと思った。でも、ターミネーターだったらたぶん腰痛くならない。

 で、ごたついた引っ越し準備に追われて気がつくと、なんとまぁ、2日もマンガをまともに読まない生活をしていた。もちろんたった2日なんだけれども、こと僕がマンガを2日読まないなんていうのは、締め切り直前の会社泊まりがけコースにはまっているときくらいで、読める環境にいて読まないなんて、俺有史以来初じゃないだろうか。このとき、俺の歴史が動いた(腰も痛んだ)。要するに思っていたよりずっとくたびれていた。ガスも水道もネットも物流も電気も(おおむね)生きてる東京ですら。

 そういうちょっとくたびれたところに、タイミングよく谷川史子の新刊ラッシュが来た。ラッシュといっても2冊なんだけれども、基本的に短編ものが多い谷川先生の場合、2冊同時ならラッシュだ。僕にとっては。柔らかい線、ふんわりとした作風、キュートな笑顔。今欲しいのはそういうの、ということで、早速「吐息と稲妻」と「他人暮らし」の2冊を買ってきて順番に読み始めたのだけれど、うっかりしていた。泣かせるんだ、この人は。不意に。でも、確実に。「吐息と稲妻」を読み終わったとき、深く、ため息が出た。

 表題作「吐息と稲妻」でも泣きそうになった。続く「星空スイマー」もあの晴れやかな涙に胸を打たれた。だが、なんと言っても出色だったのは「雪の女王」だ。

【以下ネタバレあり】

 本作に限らず、谷川作品というのはなかなかあらすじを書くのが難しいものが多い。「雪の女王」もあらすじだけ書いてしまうと、「ずっと好きだった幼なじみの男の子に彼女ができてしまった女の子の話」という感じになる。たったそれだけの話だ。派手なドラマはない。

 「幼なじみとの恋」というのは、物語の定石として一種の鉄板だ。幼なじみの女の子が出てきたら、男の子は何がどうあろうと、その子とくっつかなくてはならない。それはもう、新たな敵が現れたときに、過去に倒した敵が主人公を助けに来なくてはならないのと同じように。いついかなるときでも、たとえどんな奇跡を起こしてでも。

 しかし、「雪の女王」では、奇跡は起こらない。物語の最後まで、一瞬たりとも、彼は彼女を恋としては振り向かなかった。大切に思いながら、大事だと言い続けながら、だが、決して恋としては結実しなかった。主人公・千英は、お姫様だった。王子様のキスを待って眠り続けるお姫様だ。彼女はもしかしたら、どこかで幼なじみと女の子は必ず結ばれると、片隅でわずかに信じていたかもしれない。そうして、「(彼を)取り戻せ」という友人の言葉も受け流し、澱のようにゆっくりと想いを沈殿させて、運命を待ち続けた。そして、その運命は冷蔵庫の中でかえらない卵のようにゆっくりと死んでいった。

 「おさななじみだと思って なめんじゃない…」。クライマックス、千英はとうとうそう叫ぶ。だけど、それは相手へ向けた言葉だろうか? 僕はそうは思わない。それは、おさななじみだと思って闘うことを避けてきた、自分への言葉でもあると思う。そうして彼女は、ようやく自分の寂しさや、報われなかった痛みを真正面から受け止めたのだ。

 我々の日常は往々にして物語より退屈で、奇想天外さに欠ける。願っても奇跡は起こらないし、あらすじとして語るとほとんどの日々は5分とかからず話し終えてしまう。けれども、当たり前で退屈な日常にも、ドラマはある。奇跡の起こらない毎日を、我々はヒーヒー言いながら結構しんどく過ごしているし、ガハガハ言いながら結構楽しく過ごしている。

 「雪の女王」は、不幸を不幸として受け入れ、取り戻せない幸福を、それでも幸福だったと受け入れる物語だ。そこには一握の奇跡も存在しない。しかし、一握の希望がある。ひと握りの奇跡も起こらない世界で、谷川史子はささやかに物語を発見し、したたかに生き続けていく。気持ちに澱のように疲れがたまってしまったとき、谷川史子は僕らに与えられた選択肢のひとつだ。