手に入らなかった楽園――「闇金ウシジマくん」(真鍋昌平)楽園くん編

闇金ウシジマくん 17 (ビッグコミックス)

闇金ウシジマくん 17 (ビッグコミックス)

現役最強のトラウママンガといったら「闇金ウシジマくん」でしょう。タイトルのとおり、闇金融業者の丑嶋を中心にして、債務者が墜ちていく様子とその末路を描く怪作です。
お金モノのマンガは多かれ少なかれエグイですが、「ウシジマくん」もかなりエグイ。読むとしばらく生きているのがイヤになるほど凄まじい破壊力があります。だけど、欝になるとわかっているのにどうしても読んでしまう。怖いのに目を背けられない迫力が、この作品の魅力です。

同じ闇金融モノの「ナニワ金融道」(青木雄二)もかなりエグく、非常に似ている部分もありますが、大きな違いは「道の踏み外し方」です。
「ナニ金」は普通の人がある瞬間に道を踏み外して転落していく恐怖とリアリティを描く物語でした。ところが、「ウシジマくん」になると、本人たちもどこで踏み外しているのかわからないまま底なし沼にはまりこんでいきます。というよりも、彼らは最初から踏み外してしまっている。踏み外しながらたまたま沼に落ちずに暮らしていたのだけど、ある時からやはり沼にドップリとはまりこんでしまうという感じです。
だけど、「すでに踏み外してる」彼らは、実のところ僕らとそれほど違いはありません。もしかしたら、すでに誰もが「踏み外し」ながら綱渡りのように生きているのではないか? そういう切迫感が「ウシジマくん」にはあります。

さて、生ぬるい救いを許さない冷徹なストーリー展開が「ウシジマくん」の持ち味ですが、「タクシードライバーくん」編あたりから、若干エピソードのテイストが方向転換されているように思えます。絶望的な物語の中で、ある種の希望が差し込まれるようになりました。もちろん、訓話的になったということではありません。依然「ウシジマくん」の登場人物たちは救われない暗闇の中にいます。しかし、彼ら、彼女らはただ漫然と墜ちていくだけではなくなっています。最新17巻で終わった「楽園くん」編は、その方向転換が顕著に表れているエピソードではないでしょうか。


以下ネタバレ含みながら、「楽園くん」編を振り返ります。


「楽園くん」は、“おされキッズ”の「センターT」こと中田くんがファッション誌の読者モデルとしてカリスマに上り詰めながら“踏み外していく”エピソードです。

カリスマになるために、金と権力と女、クスリ……「ウシジマくん」ではおなじみのアイテムが絡みあって、最終的に“オサレ皇帝(エンペラー)”中田は多額の借金を負う事になり、「取り返せないところ」まで来てしまいます。

融資をしていたヤクザに捕まり、縛り上げられて風呂場で溺死目前まで追い詰められた中田の最後の希望は、同居している友人のキミノリだけ。キミノリが、バイト先のショップの裏帳簿を盗み出し、それを丑嶋に買い取らせることで借金の返済をするというのが、中田が助かる唯一の方法になります。このクライマックスの展開はまさにウシジマ版「走れメロス」です。

結果的に中田は命がけでキミノリを信じ、キミノリもそれに応え、金の調達は成功します。間一髪、中田とキミノリはギリギリの綱渡りを乗り切ったわけです。
命がけの友情でどん底から脱出したのですから、普通の物語ならメデタシメデタシ、2人が再出発するところで終わるのですが、「ウシジマくん」はもちろんそんな安っぽいお涙頂戴の訓話では終わらせてくれません。そこから助かった2人と、2人に関わった人物の後日談が淡々と語られます。
キミノリは裏帳簿の持ち出しに気づいたショップオーナーによって拉致。中田も関わったヤクザによって口封じのために拘束されたことが語られます。原宿の雑踏では、一時代を築いた“オサレ皇帝・センターT”の名前が、捨てられた雑誌のように忘れ去られていく様子が描かれる……。

ラストシーン、物語は再び中田が助け出されたその日に巻戻ります。キミノリに背負われながら、家へと帰る中田。2人は何事もなかったように笑顔でこれからのことを語り合います。

「何も残らないものに晒される毎日とおさらばだ。」
「この感じ……」「ずっと続けばイイのにな……」

穏やかに語り合う2人の姿でエピソードは終わります。すでに語られているように、あるいは彼ら自身の予感どおり、「この感じ」は続きませんでした。「キッズリターン」のラストシーンのように、彼らはやはりすでに終わってしまっていたのです。

このラストの無常感は、一見これまで同様救いがありません。そして、実際彼らは救われなかったでしょう。中田もキミノリも、泣きながら、みっともないほど喚きながら許しを請うたに違いありません。
ですが、手に入れられなかったにせよ、彼らは「何が救いなのか」を垣間見ました。中田が危険なクスリに手を出し、彼女を売り払ってまで手に入れたかったのが何なのか。金と権力を手にいれることで、彼が何から救われたかったのか。
「ウシジマくん」に不似合いな陳腐な言葉ですが、中田が最後まで求めていたのは、信頼であり絆でした。行き場のない孤独を埋め合わせるために、中田はカリスマと人気を求めました。皮肉なことに、「青い鳥」と同じように、元居た場所で中田はそれを一瞬だけ手に入れます。
深い井戸の底に落ちた彼らは、そこから二度と再び出られませんでした。しかし、救われなかった2人の楽園くんは、最後に楽園の在処だけは垣間見れたのではないでしょうか。
「そもそも自分を救ってくれるものなど存在しなかったのだ」と思いながら墜ちる人々には、もはや絶望以外に何も残されません。しかし、手に入らなかったとしても、「それが存在するかもしれない」という祈りにも似た希望。「最初から踏み外している」人々を描く「ウシジマくん」に最後に残された希望が、そこにはあるのではないかと思います。